上を向いて歩こう3
構成・文/団田芳子
粉浜商店街の歴史を看板に見る!
「上を向いて歩こう」シリーズ第3弾です。
ほんわか和み系
「文栄堂」
手書きなのかな。
上品な筆致で「文」「栄」「堂」と3枚のパネルが掲げられている。
「隣の人が書いてくれたんよ」とは、店主の森本輝(てる)さん。御年87才と聞いて驚いた。
背筋がシャンと伸びて、お客様にもシャキシャキと対応されていて、恥ずかしそうに写真に映ってくれる笑顔もお可愛らしくて。
つい“テルさん”と呼びかけたくなるチャーミングな方だ。
そんなテルさんが、隣の人というのは、いま『フラワーショップ ハナキ』さんが入っているお店の家主さんだそう。
「もう亡くならはった先代やけどね。器用な人で」。
10年以上前、お花屋さん以前にあった隣の店の看板がステキで、「僕が書いたって言わはるから、『うちのも書いてぇな』って頼んだんよ」。
目立つわけではないけれど、何だかほのぼのと温かみのある看板だ。
「90年も経つ古い家やから、写真に撮られるの恥ずかしいわ」
とテルさんは言うけれど、ほこりひとつないきれいなお店だ。
並んでいるのは、文房具。ノート、便せん、封筒、折り紙、祝儀袋と紙類が多い。
「うちは初めから文房具屋と違うねんよ。紙の卸しをずっとしてるから。この店も元々はほら、このちり紙だけ置いてたんよ」。
見れば、棚の上に様々な種類のちり紙が並んでいる。
ちり紙!何と懐かしい。
筆者が東粉浜幼稚園に通っていた頃、トイレの中に、四角いカゴがあってちり紙が積んであったことを思い出した。今ではロール状に巻いたトイレットペーパーしか見なくなったから若い世代はご存じないかもしれない。
一体いつからちり紙は姿を消したのか。
ちょっと気になって調べたら、1973年の第一次オイルショックのときは、まだちり紙の方が多く使われていたのだそう。逆転したのは1977年。「トイレの水洗化」が理由らしい。
「でもね、ちり紙の方が流しやすいねんよ。トイレットペーパーは2回流さんとあかんときあるでしょ」とテルさん。
なるほど確かに。だから、今もちり紙を愛用している方がここに買いにくるらしい。
ちり紙は岐阜県のメーカーから直接仕入れ、100坪の広大なお家に設えた倉庫に保管し、お得意先に卸しているのだとか。
「今はほんまに少しやけどね。昔は近畿で一番の紙問屋やってんよ。私もすごく働いたもん」。
この商店街の店は、卸業の傍らちり紙を置いて小売りを始めたものだったが、「便せんないの?ペンは?糊も置いて」という声に応えるうちに、文房具屋の体になっていったのだと笑う。
いまは、ペン、糊、クリップ、各種ノート類などなど、実に多種多様な品が、それぞれのカテゴリー毎に、木枠のガラスケースや棚に、きれいに並んでいる。
中でも店の奥の木製の紙箪笥が昭和レトロでオシャレ!
いろいろなサイズの紙が収納できるよう大小様々な、でも紙用だから1段が浅く作られた専用の引き出しがたくさん付いている。開けてみると、のし紙や給料袋などがきちんと収められている。
のし紙B5版1枚15円、A4版18円。
「のし紙1枚だけ欲しいのに、ホームセンターとかだと10枚セットでしょ。1枚からバラで売ってくれるこのお店が本当に有り難いんですよ」
とは、『こはま日和』制作委員のユウコちゃん。商店街に在って嬉しいお店の1つなのね。
「でも、もう小学校でもノートを使わへんようになってねぇ」とテルさん。
タブレットを使うからノートが売れなくなったらしい。そう言えば、パソコンが普及して文房具屋が町から姿を消しているというニュースを見たことがある。
「私もこの歳やし、うちもいつ閉めてもええんやけど」などと言いつつ、こまめに掃除をし、定休日は仕入に出掛けるテルさんは、働くのが大好きなのだろう。
まだまだずっとお元気に、粉浜商店街の文房具屋さんを続けてくださいね!
文房具・紙 文栄堂
1番街 9:30~17:00 木曜休み
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