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2022/05/13

上を向いて歩こう3

構成・文/団田芳子


粉浜商店街の歴史を看板に見る! 
「上を向いて歩こう」シリーズ第3弾です。


ほんわか和み系
「文栄堂」

手書きなのかな。
上品な筆致で「文」「栄」「堂」と3枚のパネルが掲げられている。

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「隣の人が書いてくれたんよ」とは、店主の森本輝(てる)さん。御年87才と聞いて驚いた。
 
背筋がシャンと伸びて、お客様にもシャキシャキと対応されていて、恥ずかしそうに写真に映ってくれる笑顔もお可愛らしくて。

つい“テルさん”と呼びかけたくなるチャーミングな方だ。

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そんなテルさんが、隣の人というのは、いま『フラワーショップ ハナキ』さんが入っているお店の家主さんだそう。

「もう亡くならはった先代やけどね。器用な人で」。

10年以上前、お花屋さん以前にあった隣の店の看板がステキで、「僕が書いたって言わはるから、『うちのも書いてぇな』って頼んだんよ」。

目立つわけではないけれど、何だかほのぼのと温かみのある看板だ。

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「90年も経つ古い家やから、写真に撮られるの恥ずかしいわ」
とテルさんは言うけれど、ほこりひとつないきれいなお店だ。

並んでいるのは、文房具。ノート、便せん、封筒、折り紙、祝儀袋と紙類が多い。

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「うちは初めから文房具屋と違うねんよ。紙の卸しをずっとしてるから。この店も元々はほら、このちり紙だけ置いてたんよ」。

見れば、棚の上に様々な種類のちり紙が並んでいる。

ちり紙!何と懐かしい。

筆者が東粉浜幼稚園に通っていた頃、トイレの中に、四角いカゴがあってちり紙が積んであったことを思い出した。今ではロール状に巻いたトイレットペーパーしか見なくなったから若い世代はご存じないかもしれない。

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一体いつからちり紙は姿を消したのか。

ちょっと気になって調べたら、1973年の第一次オイルショックのときは、まだちり紙の方が多く使われていたのだそう。逆転したのは1977年。「トイレの水洗化」が理由らしい。

「でもね、ちり紙の方が流しやすいねんよ。トイレットペーパーは2回流さんとあかんときあるでしょ」とテルさん。

なるほど確かに。だから、今もちり紙を愛用している方がここに買いにくるらしい。

ちり紙は岐阜県のメーカーから直接仕入れ、100坪の広大なお家に設えた倉庫に保管し、お得意先に卸しているのだとか。

「今はほんまに少しやけどね。昔は近畿で一番の紙問屋やってんよ。私もすごく働いたもん」。

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この商店街の店は、卸業の傍らちり紙を置いて小売りを始めたものだったが、「便せんないの?ペンは?糊も置いて」という声に応えるうちに、文房具屋の体になっていったのだと笑う。

いまは、ペン、糊、クリップ、各種ノート類などなど、実に多種多様な品が、それぞれのカテゴリー毎に、木枠のガラスケースや棚に、きれいに並んでいる。

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中でも店の奥の木製の紙箪笥が昭和レトロでオシャレ! 
いろいろなサイズの紙が収納できるよう大小様々な、でも紙用だから1段が浅く作られた専用の引き出しがたくさん付いている。開けてみると、のし紙や給料袋などがきちんと収められている。

のし紙B5版1枚15円、A4版18円。

「のし紙1枚だけ欲しいのに、ホームセンターとかだと10枚セットでしょ。1枚からバラで売ってくれるこのお店が本当に有り難いんですよ」
とは、『こはま日和』制作委員のユウコちゃん。商店街に在って嬉しいお店の1つなのね。

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「でも、もう小学校でもノートを使わへんようになってねぇ」とテルさん。

タブレットを使うからノートが売れなくなったらしい。そう言えば、パソコンが普及して文房具屋が町から姿を消しているというニュースを見たことがある。

「私もこの歳やし、うちもいつ閉めてもええんやけど」などと言いつつ、こまめに掃除をし、定休日は仕入に出掛けるテルさんは、働くのが大好きなのだろう。

まだまだずっとお元気に、粉浜商店街の文房具屋さんを続けてくださいね!



文房具・紙 文栄堂
1番街 9:30~17:00 木曜休み



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「この取組みは大阪府商店街等モデル創出普及事業の一環で実施しています」

 
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